2023-01-01から1年間の記事一覧
私自身の出会いについても安藤先生に関してても、存命中の方については触れないことを心がけていましたが、今回からそれを破りそうです。安藤先生が当時どれだけ真剣に「現在を意識」していたかを考えさせられたからです。 コロナ自粛以前に西宮で哲学講座を…
安藤先生とニーチェです 哲学は批判学であることを貫かれた先生です。この本ではニーチェ批判も散見されます。旧制第八高等学校時代には「校友会誌にニーチェ論なんてものばかりかいて」いて友人間ではニーチェの信奉者と思われていたふしがあります。『当世…
私としては前述の驚きの結論とそこに至る過程を探っています。 このノートの講義をさかのぼること12年前の昭和40年に、安藤先生は京都第二日赤に入院中に英語で対話編Hamlet,“TO BE OR NOT TO BE”(「ハムレット あるか あらぬか」)を書かれました。 これを…
哲学こぼれ話ですから、中略した存在論の部分をまず挙げておきます。 さてのこされた存在者は神である。神は果して存在者であろうか トーマス(Thomas)に於て神は存在esse ipsumであって ensではなかった。しかしThomas の後従者をも含めて人間は神を単なる…
少しずつ記事が増えてきたので、ここでもう一度私の「哲学こぼれ話」の説明をさせていただきます。 まず、小生が安藤孝行先生のもとで哲学を学んでいた際に その「存在論」の最後の講義に同席ました。 45年も前のことです。 安藤先生のノートについて、もう…
学生時代にさかのぼり受けた教えを少し披露いたします。 先に名前を挙げた新カント派の授業を受けた杉村暢一先生からは 「哲学も唯物論から入れば、それはそれで簡単には否定できないものだ」 と言われました。 「論理的判断は捨象であるが取り上げた判断そ…
挿話の余話。 話を先取りしますが、先生の遺稿の中に、田辺元先生とのやり取りやソ連(ロシア)が交渉もできない相手であるなど短いエピソードがあったのですが、私は割愛しました。 そのことを今深く反省しています。 田辺先生については、先生とのやり取り…
金沢には西田先生を神様扱い(偶像化)しているものが多くいて批判が許されないで困った。軍国主義者以上に厄介な存在だったということも聞きました。 哲学が批判学であることを厳密に実践した安藤先生には耐えがたいことであったと思います。西田先生の名前…
私は西田幾多郎に習ったという先生にも会っていたことがあります。 今頃になって「立派な教育者とは」と思い出す現清和学園の南久一郎先生です。 目の澄み切った先生でした。南校長は生徒の「魂の平安」が教育の要諦だと考えておられました。 生徒も悪さや規…
話が前後しますが、この直後に就職し先生から離れたため細々と口語訳だけ続けていた私に安藤先生は山田先生に会う機会を作ってくださいました。それが南山大学の山田ゼミにつながります。 話は変わりますが、山田先生はイタリアに留学しイタリア語もマスター…
この時期、安藤先生には河出書房新社から『アリストテレスの倫理學』唱和15年弘文堂刊 50銭の教養文庫の復刻再刊の依頼がありました。この本は戦時体制下一般書店にはほとんど並ばなかった幻の本と聞きました。 「弘文堂の本をよく覚えていてくれた」と先生…
ちなみに私は2度30歳代と50歳代に南山大学の山田晶先生の「トマスアクィナスのゼミ」に二度参加させていただきました。二度目の時は改めて世界中のコンピューターのどこを探しても聴けない話をいま聴いているのだと感激した記憶があります。それは初めて10代…
「よく言われる通り、ハイデッガーの哲学は、熱烈に信奉されるか、冷淡に無視されるかのいずれかであって、その中間がない。しかし哲学とは批判的精神に徹することであるなら、われわれの採るべきはこの中間の道ではなかろうか。著者にとって、ハイデッガー…
ちなみに昨年 「中世哲学講義」(全5巻)山田晶が完結したとの喜びの年賀状をいただきました。 安藤孝行先生の「中世哲学史」ノートも「存在論」ノートに続いて紹介したくなりました。 中世哲学講義(第一巻) 昭和41年ー44年度 [ 山田晶 ] 楽天で購入 安藤…
文芸書の自費出版が続くこの間、 先生は恩師である山内得立先生から『ロゴスとレンマ』の英訳も頼まれ断られて いました。 【ポイントUP中】 ロゴスとレンマ 岩波オンデマンドブックス 三省堂書店オンデマンド 楽天で購入 時間がないというのが一番の理由で…
安藤先生の豪華本の印章を彫ることになったのは東雲という書家です。 哲学者たちの思想、戦わせてみました くらべてわかる哲学事典 [ 畠山創 ] 楽天で購入 彼は決まりを意識し間接的にその旨忠告もしながらも注文通り丸く篆刻しました。 結果的に先生が大変…
また『ルバイヤート』は豪華本に『葦の葉笛』は特製本にされました。 この本の「仕様」も書かれていました。 挿絵は北村ひとし氏から下村良之介氏の銅版画に換わりました。 技術者を日本で選んで督励しておられました。 材料もそれぞれの最高のものにしたと…
唱和訳はリズムと印象をくみ上げるのに対し、 一言半句に厳密な意味の表出を求められる哲学とは、 おのずと一線を画すのではないでしょうか。 要は情感の表現の有無の為でしょう。 この時期、この詩想と情感がつぎつぎ唱和訳書として自費出版されます。 古今…
天才文人の話に戻しましょう。 『RUBAIYAT』(ルバイヤート)もその刮目すべき「あとがき」があります。 それによればこれは、フィッツジェラルドのほか各国語に訳され 「わが国では蒲原有明の六首をはじめとして、 矢野峰人の三十三首、竹友藻風の百十首、…
話は変わります。 『天才』という言葉から思い描くものは各人各様違いも大きいと思います。 哲学を離れて一般常識によれば、自分と他人が違うといったことは反省的に 自己意識を持つようになれば誰しも経験的に知ることです。 しかし人類の4大聖人の一人お釈…
上の先生の教養についての証言者岩井充子さんもまた 自身天才少女詩人と言われた方です。 金子みすゞさんの詩が20歳を過ぎて書いたものであるに対して 岩井さんの詩は4歳の時に口にした言葉の詩集だと聞きました。 岩井女史と安藤先生との出会いは女史の同志…
永井荷風をご存じだろうか。 安藤先生は永井荷風と自分の翻訳の比較鑑賞を望んだわけです。歌集「葦の葉」の後の作です。 「葦の葉余滴」レニエ・荷風・白雲 猪崎保子先生の論文 「珊瑚集」に訳されたヴェルレーヌとレニエ https://tsukuba.repo.nii.ac.jp/r…
哲学のブログで始めたものが、文芸の話が長くなりました。 もうしばらく続けなければなりません。 というのも哲学者Takatura Ando自身が 毎回挙げているノートの存在論の自説の完成(英語に翻訳するまで)を強く意識しながらも「自分程度の学者は世界には数…
この出版のおかげで、先生は俳諧の現代随一の巨匠に出会うことになります。瓢左という蕉門下の十哲北枝八代の直系の人物です。 安藤先生は続いて原詩付きで『葦の葉笛』というボードレーヌ・ヴェルレーヌ・ゲーテ・ハイネ・キーツなど31名の仏・独・英の詩…
英・独・仏・そしてギリシャ語でそれが出来たのが安藤孝行(白雲山人)先生でした。 加えて漢詩の知識や感興それを和歌訳で示し自費出版したのが 前述の書『唐詩唱和』です。 私はそれに対して「難しい」と感想したために、 先生は私にもわかるようにと、唱…
ある時の服部先生の質問に、ある学生が「真理を学ぶ」ためにと答えたところ、先生からは「我々人間に真理など到底知ることはできない、ただ自然界の現象からそこにある法則を見つけるのがせいぜいのところだ。」といった答えを聴いた記憶があります。 今思え…
森先生に出会う前に私は初めての哲学書講読の授業でカントの「純粋理性批判」「実践理性批判」のドイツ語を、まるで日本語を読むように、日本語と同じスピードで訳す先生に出会いました。 服部先生と畠中先生です。私のこの時の衝撃は大きかったです。 内容…
季節の変わり目、黄砂か花粉か珍しく咳が出たりで、 ブログ小休止していました。 先生の紹介を続けます。 〈文人〉という言葉をご存じですか。 スポーツ万能に比べて文章(ことば)万能の人と言ったらいいでしょうか。 日本は長い歴史の中で、自然の美と自然…
恩師のノートを続けます。 この哲学者(安藤孝行)は白雲山人と号する詩人でもありました。 師との出会いは、ちょうど師がその最初の歌集を明治書院から刊行した頃でした。 唐詩の翻訳歌集でした。 a.r10.to これからも紹介しようと思う哲学の方では 質問さ…
ひとり言はその人だけのもの。 けれどここに私の「忘れ得ぬ人々」を 紹介したいと思います。 哲学風ブログを始めるのは 私の個人的な経験が、私以外のだれかに役立つかもしれないし またはひょっとしたら一般的に役立つものがあるかもしれないと思ったからで…