哲学こぼれ話

哲学について、思うことをつらつらと…

「私はどんなに浅くとも澄んだ水を好む。深浅は人の運命である。しかし浅いものが深きをまねるほど滑稽で悲惨なことはない。」哲学こぼれ話⑯

 

ちなみに昨年 「中世哲学講義」(全5巻)山田晶が完結したとの喜びの年賀状をいただきました。

 

安藤孝行先生の「中世哲学史」ノートも「存在論」ノートに続いて紹介したくなりました。

 


 

 

安藤先生の哲学書は国島一則氏が公論社から先生が満足の立派な装丁の『アリストテレス研究』を発刊した後、安上がりの「わら半紙のような、しかも一部活字も異なる(立

命館大学の出版誌の抜き刷り)を使った」と嘆いた『ハイデッガー存在論』があります。

 

その哲学書ではニーチェ張りの言葉がそのカバーに見られます

 

「濁った水は深く見えるという。・・・・私はどんなに浅くとも澄んだ水を好む。深浅は人の運命である。しかし浅いものが深きをまねるほど滑稽で悲惨なことはない。」

 

は私に向けられた言葉であるとともに、ありのままの浅い自分を受け入れてもくださるという安らぎの言葉になりました。

 

さらに序から安藤先生自身の言葉を引きます。少し長くなりますが、先生の若い学徒への思い、その哲学的立場、そして先生が京都学派に属さなかったわけを推し量ること

が出来るものです。

 

続く

 

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