Anyhow Pilate said,"What is truth?" 哲学こぼれ話㉝
Is this view of truth the dogma of a conservative officer who blindly adheres to authority? Be that as it may ,Pilate could, if he had wished, have solicited the support of Socrates,who might have argued that it was no less honourable to die owing to a bad law than to fight against it.
ともあれ、ピラトは言った「真理とは何か」と。A mayor annoyed by a student political demonstration might say:学生の政治デモにうんざりした市長も時々こんなふうに言う。「わしは君らの真理なんか知らん。そんなものは何も知りとうない。ただ知っとるのは、市民は法にしたがって行動せんならんということだ。君らの言うのはただの意見とちがか。君らは法に背いて行動しとる。わしの知っとる真理はそれだけや」
学生運動が収まった後、何にもまして、安藤先生は真理の追究を学生に示したかったのかもしれません。私は1972(昭和47)年5月4日に田井のご自宅でこの本をいただきました。『 エピクロスの園』理想社です。
ソクラテスは悪法に服して死ぬことが、悪法に反対して死ぬことに劣らず崇高な行為であることを弁明したでもあろう。「エピクロスの園」p72(真理とは何か5)
真理探究、その視点から、先生の生涯を見れば中東問題も伺えずとも自ずと先生のお答えが見えてくるように思います。これは例えればソクラテスに対して、小ソクラテス学派的納得に過ぎないことはわかっています。私の理解度(求め)に応じた答えでしょう。これは先生と私の美意識の違いでもいえることでした。ある美術館の動物画の評価でそれを感じました。この度学生安藤先生の師である九鬼周造先生の『いきの構造』を読んで確信しました。
ちなみに、九鬼先生が祇園から通われていたとは「まことしやかな噂」ではなく私は直接安藤先生からお聴きしました。「九鬼先生の遅刻」も違うように思います。当時の先生方は歩きながら講義されて、時計の秒針に合わせたように正確に講義の内容の完結時には講壇の中央にぴたりと戻っていた。これは「私にはまねのできないこと」と感心されたことを思い出したからです。
話を戻します。無神論者ニーチェに親近感を持つ安藤先生の最晩年のジルソン研究も、山田晶先生との親交も、キーワード「真理探究」で私の中でつながってきました。
具体的には安藤先生が京大入学当初に田辺先生から指示された最初の課題であるアリストテレスの『形而上学』につながることが、内容的に山田晶先生の中世哲学の講義ノートからわかりました。ジルソンはアリストテレス的だということです。この課題については武内義範氏も『存在の忘却』の序文で証言しています。
一般に哲学探求の方向はプラトン的かアリストテレス的かに二分されるとされます。すると安藤先生の存在論もイエス理解もジルソン解釈も、信仰者とは一線を画すのも当然かもしれません。山田先生とは晩年のジルソン解釈(評価)の違いがあるのはその点によるのかとは安藤先生自身も述べられています。ジルソンの『存在と本質』訳者序文。この訳書完成の喜びは唯一山田先生生への衷心からの謝意からも察せられます。
「こういう真理観は規制の権力に盲従する反動的官僚のドグマであろうか。」
つづく6にはPilate asked"What istruth?",not because he did not know the meaning of the word,but because he wassure he knew it.He could not find in Jesus'words anything more than a mere distortion of the term. Aristotle might as well be blamed if Piate were guilty of neglecting the word. For Pilate obviously was following Aristotle with regard to the usage of the term'truth'.
「真理とは何か」ピラトが問うたのは、彼がその意味を知らなかったのではなく、むしろそれを知っていると信じたからである。彼は・・・・用語の乱用しか認めることが出来なかった。この点に於てピラトが責められるとすれば、アリストテレスも彼と同罪であろう。なぜなら真理ということばの用法に於て、ピラトは明らかにアリストテレスにしたがっていたからである。