哲学こぼれ話

哲学について、思うことをつらつらと…

「安藤先生と学生紛争直後の大学」哲学こぼれ話㉟

小説のように書くとは、私の場合はただ事実と異なていますという意味です。即 時と所もあいまいで公人以外は名前も違っているかもしれません。

私には、先生は雲上の月のような存在でした。真理を求める先生の存在論の授業は熱がありました。『ハイデッガー存在論』『プロチノス』『アビセンナ』『アヴェロエス』『アリストテレス存在論』『ニコマコス倫理学』などが大学院の第Ⅱ期生の四名の授業でした。後日談ですが、私は哲学概論は受講しませんでした。『存在の解明』行路社刊の書籍になって始めて読みました。山田先生が事故で京都日赤に入院と重なる出版でした。この前書『存在の忘却』は山田先生が校閲し序文も寄せられたものです。

 

ちなみに安藤先生との初対面は、関西哲学会があって私はその折のタイムキーパーだった時です。髙山先生から安藤先生の存在をそっと知らされたに違いありません。

安藤先生は一番前の席に座って、若い発表者にも熱心に耳を傾け真剣に質問されていました。威儀を正された姿は九鬼周造先生の言う「粋な」紳士でした。

 先生に正式にお会いし挨拶したのは面接試験の時でした。ほかにはヒュ―ム・カント研究の土岐邦夫先生や倫理学の小西国夫先生、フランス哲学の先生、そして近藤洋逸先生がおられたと思います。

私は髙山先生の言から、安藤先生を完成した哲学者と信じ、また Red パージ(イデオロギーを排除) をしなければ学問研究はできないと言われた哲学科の主任教授のもとから、大学紛争後しばらくたち何事もなかったかのような並木も美しい津島のキャンパスに来たわけです。

安藤先生について哲学を学びたいと言いながら入学を許された直後には、土岐先生に鞍替えしたいと申し出たことがありました。私は服部先生のイギリス経験論のロックの『人間悟性論』とのつながりで、ヒュームならできそうだが、ギリシャ語のアリストテレスは無理だと思って申し出でました。その時の安藤先生の返事は、「アリストテレスという大哲学者をやりたいと思ってせっかく来たのだから〔私がついているから大丈夫〕イギリス経験論の小人物より、アリストテレスを研究することを勧めます。やりなさい。」という一言でした。比較の問題ですが安藤先生の研究結果の意識ではロックは小人物になるのでした。(先生によれば近現代の最大の哲学者はジルソンだそうです。)

そのあと、先生はアリストテレ全集やスンマの他にも、倫理関係の研究書を何冊か注文輸入され、その都度私は父に連絡し購入しました。父は一言「金森先生は良かった」と言っていました。私もさすがに全く読めないフランス語のものには父に申し訳なく思いました。ここに真理があるという感動と到底読めない書物を抱えたという思いが交錯しました。

何年も後になりますが、その時買ったスンマが名古屋での山田ゼミに参加させてもらえるようになって役立ったわけです。このことも安藤先生には予期できていたことだったのでしょうか。

 

安藤先生はある時、自分は政治的問題にも強い関心があると言われたことがありました。

学生紛争に関する伝聞です。フランス語の田辺保先生の祝賀会に出たことがあります。その時の某先生の祝辞の中で、当時の田辺先生は、対峙するゲバ棒の学生の間に入って「やめなさい」と制止したそうです。

安藤先生の学生たちに対するそれは『当世畸人伝』新潮社の小説にはあります。しかしそれが事実かどうか、白崎氏の創作か確認できるのは、長女の真奈さん以外にはいないと思います。

 

 

「イスラエル報道の背景」哲学こぼれ話㉞

講義ノートの結論を出すには、哲学史的視点が不可欠です。これは若い研究者に委ねて、私は哲学以外の方々との出会いのエピソードも小説風に溯りたいと思います。 記憶に自信がなくなり確認も十分にはできないと思うからです。

 

哲学の目指すものは真理(普遍知)ですが、今回は人それぞれの正義についても、安藤先生の考えや中坊公平氏の正義観を想像して考えてみました。

 

前回の続きからです。

人はそれぞれ物語を書いて生きるしかないと思います。先生を理解したい思いに急ぐあまり、私の結論は違っていたようです。先生の「信」の立場はわからないわけです。先生はキリストの救いを受け入れていたのかといえばそれは分らないと言わねばなりません。

乙女から生まれた赤ちゃんを救い主として祝うクリスマス。Believe whom?が先生の言葉にあります。『エピクロスの園』P74 マリアからすべての母への言及です。少なくともこの時はキリスト教会に伝統的な使徒信条に否定的立場でした。

私は自分の人生に意味(価値)を見つける焦りからか、クリスマスは神様の「受肉」と信じて疑わないでいました。牽強付会。先生もその結論に至ったに違いないというのは哲学的批判を全く欠いた私の勝手な解釈にすぎません。

話は変わります。

 

先生には教員としての第四高等学校での戦時体験もありました。そして晩年第六高等学校の伝統を継ぐ岡山では研究の一時中断を余儀なくされて、趣味人的な遊び心を発揮されていました。

ブログにも何度か挙げた通り、この間に安藤先生は歌集や唱和と云われる訳詩集を一気に創作されたわけです。

 

うらうら光あふるる山川にこころあくがれ移り住みしか

のどかなる備前の國に入りにけり山のすがた川のながれも

                                                                                          『唐詩唱和』明治書院P285

 

私が先生と出会う少し前のことです。その成果の発表(出版)時期に私は先生の学生となりました。

 先生の大学での研究・授業が中断されていたことを、私は最近のニュースで改めてはっきり認識いたしました。

 私は高校生の時、テルアビブ空港で無差別乱射事件があったことを思い出しました。 学生間の対立で大学に警察官が入り、殉職者があったことも安藤先生はまじかにされたに違いありません。

 最近のニュースで、そんな時代の学生だった人が死をまじかにして本名を告げたことを知りました。学生運動を隠して生きている人もそのシンパも多くいたわけです。それらの人々は定年退職したとはいえ、マスコミや政財界、教育界にも大きな影響をあたえたに違いありません。最近の報道の偏りもうなずけるものがあります。世論誘導です。シリア内戦時の写真が利用されていると聞きました。確かめてほしい除をした話を聴きました。

 しかし日本中の学生が学生運動をしていたわけでもないしそのイデオロギーで世界を変革しなければならないとしたわけでもありません。正義はさまざまです。安藤先生に言わせれば、ドグマの信仰「神の愛と正義」を信じて天国的楽観論で生きていたものもいたわけです。

ちなみに当時は、私の見た新聞やテレビでは、イス国テル空港での無差別乱射を肯定する報道はなく、今日のように同情して「そうせざるを得なかった事情」など考慮すること自体が、日本を国際的に孤立する時代でした。悪は悪です。今日のマスコミ報道では、「テロは悪だ」と前置きしながらも、日本人がその無差別殺人をしたことを忘れたかのようです。日本が無差別乱射テロ支援国家になったかのようです。

 大勢の学生運動家やその共鳴者は沈黙していただけで、その影響下にあったものが今公然と表に現れたということでしょうか。中坊公平弁護士(判官びいきの庶民の味方)にもご意見を伺いたいものです。

 

アリストテレスの正義論の第一は法に従うことであったことは安藤先生から学んだことでした。

ちなみに安藤先生は我々以外にも英文学科の学生にも聖書を読む(ユダヤの歴史を知る)必要性を強く訴えられていました。

哲学こぼれ話はあと2~3回で、忘れ得ぬ人々への感謝と教育こぼれ話に少しずつ変更しようと思います。

 

 

Anyhow Pilate said,"What is truth?" 哲学こぼれ話㉝

学生運動が収まった後、何にもまして、安藤先生は真理の追究を学生に示したかったのかもしれません。私は1972(昭和47)年5月4日に田井のご自宅でこの本をいただきました。『 エピクロスの園理想社です。

 

ともあれ、ピラトは言った「真理とは何か」と。A mayor annoyed by a student political  demonstration might say:学生の政治デモにうんざりした市長も時々こんなふうに言う。「わしは君らの真理なんか知らん。そんなものは何も知りとうない。ただ知っとるのは、市民は法にしたがって行動せんならんということだ。君らの言うのはただの意見とちがか。君らは法に背いて行動しとる。わしの知っとる真理はそれだけや」

 Is this view of truth the dogma of a conservative officer who blindly adheres to authority? Be that as it may ,Pilate could, if he had wished, have solicited the support of Socrates,who might have argued that it was no less honourable to die owing to a bad law than to fight against it.

ソクラテスは悪法に服して死ぬことが、悪法に反対して死ぬことに劣らず崇高な行為であることを弁明したでもあろう。「エピクロスの園」p72(真理とは何か

 

真理探究、その視点から、先生の生涯を見れば中東問題も伺えずとも自ずと先生のお答えが見えてくるように思います。これは例えればソクラテスに対して、小ソクラテス学派的納得に過ぎないことはわかっています。私の理解度(求め)に応じた答えでしょう。これは先生と私の美意識の違いでもいえることでした。ある美術館の動物画の評価でそれを感じました。この度学生安藤先生の師である九鬼周造先生の『いきの構造』を読んで確信しました。

 

 ちなみに、九鬼先生が祇園から通われていたとは「まことしやかな噂」ではなく私は直接安藤先生からお聴きしました。「九鬼先生の遅刻」も違うように思います。当時の先生方は歩きながら講義されて、時計の秒針に合わせたように正確に講義の内容の完結時には講壇の中央にぴたりと戻っていた。これは「私にはまねのできないこと」と感心されたことを思い出したからです。

話を戻します。無神論ニーチェに親近感を持つ安藤先生の最晩年のジルソン研究も、山田晶先生との親交も、キーワード「真理探究」で私の中でつながってきました。

 具体的には安藤先生が京大入学当初に田辺先生から指示された最初の課題であるアリストテレスの『形而上学』につながることが、内容的に山田晶先生の中世哲学の講義ノートからわかりました。ジルソンはアリストテレス的だということです。この課題については武内義範氏も『存在の忘却』の序文で証言しています。

 一般に哲学探求の方向はプラトン的かアリストテレス的かに二分されるとされます。すると安藤先生の存在論もイエス理解もジルソン解釈も、信仰者とは一線を画すのも当然かもしれません。山田先生とは晩年のジルソン解釈(評価)の違いがあるのはその点によるのかとは安藤先生自身も述べられています。ジルソンの『存在と本質』訳者序文。この訳書完成の喜びは唯一山田先生生への衷心からの謝意からも察せられます。

 

「こういう真理観は規制の権力に盲従する反動的官僚のドグマであろうか。」

つづく6にはPilate asked"What istruth?",not because he did not know the meaning of the word,but because he wassure he knew it.He could not find in Jesus'words anything more than a mere distortion of the term. Aristotle might as well be blamed if Piate were guilty of neglecting the word. For Pilate obviously was following Aristotle with regard to the usage of the term'truth'.

「真理とは何か」ピラトが問うたのは、彼がその意味を知らなかったのではなく、むしろそれを知っていると信じたからである。彼は・・・・用語の乱用しか認めることが出来なかった。この点に於てピラトが責められるとすれば、アリストテレスも彼と同罪であろう。なぜなら真理ということばの用法に於て、ピラトは明らかにアリストテレスにしたがっていたからである。

 

創造主(The Creator)と安藤先生の「存在論」哲学こぼれ話㉜

安藤先生の前掲書を調べていくうちにそのエピローグで私の疑問は氷解しました。

安藤先生は最後まで哲学という「学問」の立場を貫かれ、ご自分の「信」の立場を哲学には持ち込まれなかったというです。これは後述するジルソン研究の後も変わらないものでした。

「神は存在するかという問に早まった答えを与えないということは保身家の狡猾な遁辞ではなくて哲学者の知恵ではなかろうか」(『神の存在証明』公論社 P162)にあったからです。

 

他にもエピローグの数ページで具体的に学んだことがあります。

「・・・・賢人たちは神があると言い、神の存在が人間その他の存在者を存在させると言った。

つまり神の存在が人間その他の存在の根拠であり理由であるから、神は存在しなければならぬ、即ち神は存在する。」これは創造神(Creator造物主)のことでしょう。

・・・・もちろん神という名がそれほどいやならやめてもよい。いっそ、すべての存在者を存在させるものは存在だと言おうか。

つづく文は前述したように、私が初めて哲学に触れ感動した、髙山要一先生のご講義につながるものです。道元研究者から聞いた聖書の創世記の言葉(ロゴス)とおなじ言葉を見つけたことになります。

「ところでそれこそユダヤキリスト教の神が自分で名乗った名前であった。神がモーセに答えたのは唯『われはある者なり』ということばだった。神の名が存在するものということであったら、その神が存在するのは必然だと考えたものがあったとしても怪しむべきことではなかろう。」と述べた後、安藤先生の存在論アリストテレスの言った存在概念の多義性を完全に枚挙し検討する全哲学史研究の方向に進んだわけです。

それは山田晶先生が安藤先生の遺著の序文にも「古代ギリシアに始まって現代に到る哲学史上の巨人たちの著作を、〔安藤〕先生のように原典で読破した学者が、日本に幾人いるであろうか」(『存在の忘却』行路社 P x)と記されてあるとおりです。

その経緯は『存在の探究』公論社の跋に山田晶先生ご本人の言葉で見ることが出来ます。

 

『神の存在証明』のエピローグに戻ります。

そこではハムレットの名セリフ"To be or not to , that is the question." 「あるか、あらぬか、それが問題だ」が検討されます。先ず私の存在、そして財産、国家の順です。

 

の ある ない これはいったい誰にとって問題だ ろうか。が検討されます。

「それは『私』自身にとってだろうか。だが私はいつでも私である限り在るほかはない。私がないということは私にとっての問題ではありえない。なぜならその時には問題にする当の私はないのだから。」その署名に選んだエピクロスと共通するものです。すなわちエピクロスデモクリトスという無神論の系譜であり、『エピクロスの園』の跋 P135理想社 にこの署名はエピクロスとの精神的血縁からつけたものだとしているからです。安藤先生の無神論の立場はこの出版時期と何ら変わってないように思はれます。

 

財産 これも

「個人的関心に止まる。私が金を持とうと、持つまいと、人にとっては.多分どうでもよいことであろう。債権者と、財産相続人と、盗賊とを除けば」

 

国家が次にあげられます。これは安藤先生の真理探究を妨げた戦争や学生運動の構内封鎖などを踏まえたたものではないかと思われ、私が聞きたかった現在の中東問題の先取りした答えのようにも思われます。

「それでは、われわれ人間にとって、共同的な関心事、われわれにとって、それの在ると在らぬとが、絶対的な問題であるような、そんな存在者があるだろうか。・・・・それは国家であろう。国家のあると、ないとは、単に私にとってばかりでなく、例えば日本人の大部分にとって死活に関る問題だ。但し彼らの多くはそのことに気づいていない。それを知っているのはおそらく2千年間亡国の苦しみをなめつくしたユダヤ人にまさるものはあるまい。

 

 

 

 

 

 

REFLECTIONS on GOD,SEL& HUMANITY by TAKATURA  ANDO から ㉛

安藤存在論ノートの結語部分をもう一度ご覧ください。

皆さんはどう考えられますか。私は、哲学者安藤先生の、別書のキリストの十字架の「エリ エリ レマ サバクタニ」に対して「感動てき」と云うことばを発見して先生の哲学的営為もここに終り、真理を追究する生涯の努力は聖書の福音と同じものになったととらえました。

 

無神論者又は懐疑論者の先生の信仰が分かったと思い、そしてブログも少し休めば、その間の消息や後付けも山田晶先生の『中世哲学講義』知泉書館全5巻で簡単にできるように考えていました。

ちょうど私の友人が、西田幾多郎の哲学は我が家の宗教と同じことを言っていると聞いたように、ピラトが真理とは何かとイエスに問うて、答えを待たないで出て行った。

Pilate said,"What is truth?",but without waiting an answer,he went out.(p79)というところは、

ピラトに替わって、安藤先生がイエスから「私が真理である」を聞いたのではないかと、同時に「救いに至る道であり、永遠の命の根源である」と肯かれたのではないかと推察しました。

エスの弟子でデドモと呼ばれたトマスに対して、After having fulfilled his demand, Jesus said to him :Thomas,because thou hast seen me,thou  hast believed;(イエスは彼のねがいをかなえてやった後で言った。「あなたは私を見たので信じたのか。・・・」P78)の哲学の真理はキリスト教の福音に至るのかと思ったわけです。

そうすると、先生の趣味や余技と思っていたマーブリングの創造画集も、「言葉で存在(真理)をとらえる」哲学の延長線上にあり、歌集にある、アリストテレスの神の観照仏陀の悟り

なども信心は勿論、神人の合一の神秘主義に至らないで踏みとどまった、哲学者安藤先生の面目躍如につながると思ったのです。次にそう感じた歌を『唐詩唱和』の白金の手筺から挙げます。

 

思惟の思惟か 涅槃の象(すがた)か内海は ひねもす凪ぎて 光りかがやく

 

色なき色 音なき音を如何にせむ このよき夜をたたふすべなき

 

月ほてり うしほはみちぬ 天つちのまぐはいすらし なびけ夕霧

 

ところがことはそんなに単純ではありませんでした。

1980年の『神の存在証明』公論社の中に、表題の書の訳書で『エピクロスの園』になかった部分が付録として入っていました。

冒頭のマックスに語らせているものからして、先に紹介した、イエスが神の子のキリストとして受肉したことが、ほぼ10年間の中世哲学研究の成果、すなわち神についての変化の証だと私には思はれたのですが、逆に先生自身の文には以下のようにありました。

Max  You know,my friend ,how passionate an admirer of you I was for your aedent campaign againstreligion. I am puzzled to hear you speak of God. What happened to you? I am afraid,thia might be a symptom of old age.p11(マックス ねえ、アーネスト、昔僕が君の宗教批判をどんなに熱烈に支持したか、君はよく知っているはずだ。その君の口から今になって神様の話をきかされようとはね。一体どうしたんだ。ひょっとしたら、これは老衰の徴候じゃないかねえ。

Ernest ・・・・If thought were peculiar to age,it would be a folly of an old man to stick to the thought of youth. But I don't think it is exactly the case ; there may well be an old atheist as well as a young theist. But why do you decide that I am a theist? If one becomes a theist through talking about God,every atheist would turn to be a theist, wouldn't he? (・・・・ところでもしわれわれの思想というものが、それぞれの年齢に固有のものだとしたら、年よりが若いころの思想にしがみつくのは、滑稽なことじゃないか。だけど僕はあながちそのとおりだと言うわけではない。年とった無神論者や、若い有神論者があったって、別に不自然でもなさそうだ。ただ一体何だって君は僕が有神論者になったなどときめつけてしまうのだいもし神さまの話をすることで、ひとが有神論者になるんだったら、無神論者だってやっぱり有神論者になるわけじゃないか。p163)

上記のキリストの弟子トマスについてもIndeed,I doubt whether the print of the nails is really the necessary and sufficient condition of belief in the miracle of resurrection.p85

(まことに「釘あと」が果たしてよみがえりを信ずるため必要十分な条件であろうか)の文が見られたのです。

 

「安藤先生のソクラテス・ブッダ・イエス評」哲学こぼれ話㉚

 

哲学は批判学であることを体現して見せた先生は、晩年アリストテレスとはある面において違う立場をとると言われていた。

もう少し、入院中に書かれた対話編から世界の聖人評を覗いてみます。

ソクラテスに対しても、

‟The only wisdom we can afford is knowledge of our foolishness. But we never cease to be foolish through knowing our foolishness. The evidence is the life of Socrates. It was the utmost folly.” (われわれにゆるされた唯一の知恵はわれわれのおろかさを知ることである。しかしおろかさを知ることによってただちにおろかさをやめるわけではない。その証拠はソクラテスである。彼の生涯は最高の愚かさであった。138)といい

仏陀に対しても、

‟To know the folly of life is to be a nihilist. From the depth of nihility shines the bliss of life. ”(人生のおろかさを知るものはニヒリストとなる。虚無の深淵から生の浄福が輝き出す。139)

We overcome the worries of life through insight into life’s nihility. This was the wisdom of Buddha. In order to be perfectly wise, we must cease to live.”(人生のむなしさを知ることによってわれわれは人生のわずらいを克服する。これが仏陀の知恵であった。完全に賢くあるためには、われわれは生きることをやめるほかはない。140)と批判する。

写真の書のハムレットの結びのエピクロスの言葉に通じるものです。

エスについてもあくまで人間イエにこだわっていることがうかがい知れます。

その14にあるNothing is so moving as his last cry :"Eli,Eli,lama sabachtani"?(彼の最後のことばにもまして感動的なものはない。「神よ、神よ、なぜ私を見すてられるのですか。」この「感動的」と云うことばは文脈から皮肉のようにも感じるからです。

この言葉こそ全人類の救いの根拠だと素直に私がうなずけるのは、先生の「存在論ノート」を見てのことになります。このノートは安藤先生が中世哲学のgilsonジルソン研究を経た10年以後のものです。

Pilate sought for his truth. On that account he asked whence Jesus came. As an honest  citizen, Jesus should have answered: "I am a Nazarene, the son  of Mary and Joseph." That is the truth. That is the proof. Jesus however did not answer. He rejected Aristotle in refusing Pilate. He rejected the fact,or in other words,his fact was quite different  from Pilate's. (ピラトは彼の真理を求めた。だからこそ彼はイエスがどこから来たのかと。まともな市民だったらイエスは答えるべきであった。「ナザレ人、マリアとヨセフの子。」それが真理だ。それがあかしだ。だがイエスは答えなかった。ピラトをこばむことによって、イエスアリストテレスをこばんだのである。彼は事実をこばんだ。あるいは彼の事実はピラトの事実とは全く別のことであった。8)

そしてJesus never spoke about the truth in the way the logical positivists do.(イエス論理実証主義者のような意味で真理とその検証を語ったのではない。12)

「彼の身分証明書はこの世のものではなかった。彼の無実証明はそういう事実の陳述によってあたえられるような性質のものではなかった。」

To suffer his own destiny,to bear burden of his own cross,this was precisely the proof of his truth.(彼が自分の運命を甘受すること、十字架こそ彼の真理のあかしであった。12)

Like every Jew,he too was a historical determinist.(すべてのユダヤ人のごとく、彼は歴史的決定論者であった。12)とあるとおりです。

孔子についてはその引用が「存在論ノート」の冒頭部分と大学院生時代の書『アリストテレースの倫理思想』弘文堂とにあります。

 

「神なくばすべて空しと今ぞ知る 安藤先生と要請としての神」哲学こぼれ話㉙

私自身の出会いについても安藤先生に関してても、存命中の方については触れないことを心がけていましたが、今回からそれを破りそうです。安藤先生が当時どれだけ真剣に「現在を意識」していたかを考えさせられたからです。

コロナ自粛以前に西宮で哲学講座を開いてくださった先生がおられます。今道友信門下の方です。ニーチェがその死を宣言した神を「もう一度現在に呼び戻さなければならないか」と云うことばをその先生からお聞きしました。

今道先生については安藤先生から「若いがよくできる」「ペダンティックな」と聞いた記憶があります。ちなみにこの今道先生と同じペダンティック評が、服部知文(晩年のロックの一番の関心事「キリスト教の合理性」も訳された)先生にもあることが分かりました。

つぎのどこかの機会に服部先生に対する池田康夫先生の追悼文も挙げたいと思います。

哲学の授業の冒頭に、ユダヤ教の起源となる、「ありてあるもの」を語られた髙山先生。先生なら、現在の中東の報道をどのようにとらえられるか。かなわぬ願いですがお聞きしたいところです。道元禅師に私淑されたかたの声です。

 道元については山田晶先生によると、「田辺〔元〕先生は日本の哲学の先蹤は道元だと言われたが、私は道元は日本のキリスト教の先蹤」と云える旨南山大学トマス・アクィナスのゼミのあとで直接にも伺いました。

「アウグスチヌス講話』新地書房 参照。

髙山先生によると「カント自身は、神(全知全能の創造主)に祈る敬虔な人であったが 人間の理性では神そのものも人間理性を超えた存在であるので、不可知な大きな  謎となるのだ。しかし、人間社会に道徳が成り立つためには、全知全能の絶対者(審判者)がいなければならない。カントは見えない神の正義を願った」というわけです。

話を安藤先生に戻します。

私は安藤孝行先生のその晩年に出会いました。そして小さな器で先生の教えをひと掬いしました。ですから先生の未刊のノートを先入見なしに見ていただきたいと思いました。安藤先生が京大の田辺元先生の指導学生でありながら東大に学位請求論文を送ったのは当時の田辺門下のものには理解しがたい許されないことでした。当の田辺先生とは親交は生涯続いたので、安藤先生の真理愛は田辺先生に誤解されることはありませんでした。そもそも山田晶先生等はなぜ人は学位などにこだわるのかという立場でした。安藤先生も先入見なしに自分のアリストテレスの研究の批判を願ってのことだったと今の私は思います。

当時の田辺教授は「田辺の前に田辺なし、田辺の後に田辺なし」と言われた人で、西田幾多郎教授にもまして、東京を含め全国から哲学徒を呼び集め、京都学派を形成していたと上田閑照氏に繋がる教育哲学の先生から伺ったことがあります。

安藤先生の評をここで山田晶先生の言葉を借りて一言すれば「先生が京都大学に入学されたころは哲学科は田辺元先生の全盛時代であり、弁証法にあらずんば哲学にあらずという雰囲気が、教室にみなぎっていた。」安藤先生は「そこであえてアリストテレスの原典に取り組みアリストテレスを先行された。」とあります。『存在の忘却』序Ⅷ

晩年の先生には哲学からこぼれあふれる詩情があり、それにも触れる機会がありました。

 

色なき色音なき音を如何にせむ 

このよき夜を たたふすべなき

 

月夜に造物主に思いを致しているようです。そして

 

いやはての時はおそろし しかはあれど

をはりなければ また如何にせむ

 

現象界の永遠の哲学的思索を示され

 

神なくばすべて空しと今ぞ知る

さりとて神を造るすべやある唐詩唱和 白金の手筺)

旧約聖書のコヘレトの言葉を彷彿させます。

 

伝道者は適切な言葉を探し求め、真理の言葉をまっすぐに書き記した。(伝道者の書12:10)

 

エピクロスの園』の序に「私は多くの耳にこころよいしらべをかなでる楽人ではない」と書かれており、ソクラテスの様に民衆の嫌うアブのようになろうとしたのでしょうか。あるいはその心境は論理では表せないということでしょうか。ノートの途中に上掲とは別の歌を発見し驚いています。