哲学こぼれ話

哲学について、思うことをつらつらと…

「イスラエル報道の背景」哲学こぼれ話㉞

講義ノートの結論を出すには、哲学史的視点が不可欠です。これは若い研究者に委ねて、私は哲学以外の方々との出会いのエピソードも小説風に溯りたいと思います。 記憶に自信がなくなり確認も十分にはできないと思うからです。

 

哲学の目指すものは真理(普遍知)ですが、今回は人それぞれの正義についても、安藤先生の考えや中坊公平氏の正義観を想像して考えてみました。

 

前回の続きからです。

人はそれぞれ物語を書いて生きるしかないと思います。先生を理解したい思いに急ぐあまり、私の結論は違っていたようです。先生の「信」の立場はわからないわけです。先生はキリストの救いを受け入れていたのかといえばそれは分らないと言わねばなりません。

乙女から生まれた赤ちゃんを救い主として祝うクリスマス。Believe whom?が先生の言葉にあります。『エピクロスの園』P74 マリアからすべての母への言及です。少なくともこの時はキリスト教会に伝統的な使徒信条に否定的立場でした。

私は自分の人生に意味(価値)を見つける焦りからか、クリスマスは神様の「受肉」と信じて疑わないでいました。牽強付会。先生もその結論に至ったに違いないというのは哲学的批判を全く欠いた私の勝手な解釈にすぎません。

話は変わります。

 

先生には教員としての第四高等学校での戦時体験もありました。そして晩年第六高等学校の伝統を継ぐ岡山では研究の一時中断を余儀なくされて、趣味人的な遊び心を発揮されていました。

ブログにも何度か挙げた通り、この間に安藤先生は歌集や唱和と云われる訳詩集を一気に創作されたわけです。

 

うらうら光あふるる山川にこころあくがれ移り住みしか

のどかなる備前の國に入りにけり山のすがた川のながれも

                                                                                          『唐詩唱和』明治書院P285

 

私が先生と出会う少し前のことです。その成果の発表(出版)時期に私は先生の学生となりました。

 先生の大学での研究・授業が中断されていたことを、私は最近のニュースで改めてはっきり認識いたしました。

 私は高校生の時、テルアビブ空港で無差別乱射事件があったことを思い出しました。 学生間の対立で大学に警察官が入り、殉職者があったことも安藤先生はまじかにされたに違いありません。

 最近のニュースで、そんな時代の学生だった人が死をまじかにして本名を告げたことを知りました。学生運動を隠して生きている人もそのシンパも多くいたわけです。それらの人々は定年退職したとはいえ、マスコミや政財界、教育界にも大きな影響をあたえたに違いありません。最近の報道の偏りもうなずけるものがあります。世論誘導です。シリア内戦時の写真が利用されていると聞きました。確かめてほしい除をした話を聴きました。

 しかし日本中の学生が学生運動をしていたわけでもないしそのイデオロギーで世界を変革しなければならないとしたわけでもありません。正義はさまざまです。安藤先生に言わせれば、ドグマの信仰「神の愛と正義」を信じて天国的楽観論で生きていたものもいたわけです。

ちなみに当時は、私の見た新聞やテレビでは、イス国テル空港での無差別乱射を肯定する報道はなく、今日のように同情して「そうせざるを得なかった事情」など考慮すること自体が、日本を国際的に孤立する時代でした。悪は悪です。今日のマスコミ報道では、「テロは悪だ」と前置きしながらも、日本人がその無差別殺人をしたことを忘れたかのようです。日本が無差別乱射テロ支援国家になったかのようです。

 大勢の学生運動家やその共鳴者は沈黙していただけで、その影響下にあったものが今公然と表に現れたということでしょうか。中坊公平弁護士(判官びいきの庶民の味方)にもご意見を伺いたいものです。

 

アリストテレスの正義論の第一は法に従うことであったことは安藤先生から学んだことでした。

ちなみに安藤先生は我々以外にも英文学科の学生にも聖書を読む(ユダヤの歴史を知る)必要性を強く訴えられていました。

哲学こぼれ話はあと2~3回で、忘れ得ぬ人々への感謝と教育こぼれ話に少しずつ変更しようと思います。