哲学こぼれ話

哲学について、思うことをつらつらと…

「神なくばすべて空しと今ぞ知る 安藤先生と要請としての神」哲学こぼれ話㉙

私自身の出会いについても安藤先生に関してても、存命中の方については触れないことを心がけていましたが、今回からそれを破りそうです。安藤先生が当時どれだけ真剣に「現在を意識」していたかを考えさせられたからです。

コロナ自粛以前に西宮で哲学講座を開いてくださった先生がおられます。今道友信門下の方です。ニーチェがその死を宣言した神を「もう一度現在に呼び戻さなければならないか」と云うことばをその先生からお聞きしました。

今道先生については安藤先生から「若いがよくできる」「ペダンティックな」と聞いた記憶があります。ちなみにこの今道先生と同じペダンティック評が、服部知文(晩年のロックの一番の関心事「キリスト教の合理性」も訳された)先生にもあることが分かりました。

つぎのどこかの機会に服部先生に対する池田康夫先生の追悼文も挙げたいと思います。

哲学の授業の冒頭に、ユダヤ教の起源となる、「ありてあるもの」を語られた髙山先生。先生なら、現在の中東の報道をどのようにとらえられるか。かなわぬ願いですがお聞きしたいところです。道元禅師に私淑されたかたの声です。

 道元については山田晶先生によると、「田辺〔元〕先生は日本の哲学の先蹤は道元だと言われたが、私は道元は日本のキリスト教の先蹤」と云える旨南山大学トマス・アクィナスのゼミのあとで直接にも伺いました。

「アウグスチヌス講話』新地書房 参照。

髙山先生によると「カント自身は、神(全知全能の創造主)に祈る敬虔な人であったが 人間の理性では神そのものも人間理性を超えた存在であるので、不可知な大きな  謎となるのだ。しかし、人間社会に道徳が成り立つためには、全知全能の絶対者(審判者)がいなければならない。カントは見えない神の正義を願った」というわけです。

話を安藤先生に戻します。

私は安藤孝行先生のその晩年に出会いました。そして小さな器で先生の教えをひと掬いしました。ですから先生の未刊のノートを先入見なしに見ていただきたいと思いました。安藤先生が京大の田辺元先生の指導学生でありながら東大に学位請求論文を送ったのは当時の田辺門下のものには理解しがたい許されないことでした。当の田辺先生とは親交は生涯続いたので、安藤先生の真理愛は田辺先生に誤解されることはありませんでした。そもそも山田晶先生等はなぜ人は学位などにこだわるのかという立場でした。安藤先生も先入見なしに自分のアリストテレスの研究の批判を願ってのことだったと今の私は思います。

当時の田辺教授は「田辺の前に田辺なし、田辺の後に田辺なし」と言われた人で、西田幾多郎教授にもまして、東京を含め全国から哲学徒を呼び集め、京都学派を形成していたと上田閑照氏に繋がる教育哲学の先生から伺ったことがあります。

安藤先生の評をここで山田晶先生の言葉を借りて一言すれば「先生が京都大学に入学されたころは哲学科は田辺元先生の全盛時代であり、弁証法にあらずんば哲学にあらずという雰囲気が、教室にみなぎっていた。」安藤先生は「そこであえてアリストテレスの原典に取り組みアリストテレスを先行された。」とあります。『存在の忘却』序Ⅷ

晩年の先生には哲学からこぼれあふれる詩情があり、それにも触れる機会がありました。

 

色なき色音なき音を如何にせむ 

このよき夜を たたふすべなき

 

月夜に造物主に思いを致しているようです。そして

 

いやはての時はおそろし しかはあれど

をはりなければ また如何にせむ

 

現象界の永遠の哲学的思索を示され

 

神なくばすべて空しと今ぞ知る

さりとて神を造るすべやある唐詩唱和 白金の手筺)

旧約聖書のコヘレトの言葉を彷彿させます。

 

伝道者は適切な言葉を探し求め、真理の言葉をまっすぐに書き記した。(伝道者の書12:10)

 

エピクロスの園』の序に「私は多くの耳にこころよいしらべをかなでる楽人ではない」と書かれており、ソクラテスの様に民衆の嫌うアブのようになろうとしたのでしょうか。あるいはその心境は論理では表せないということでしょうか。ノートの途中に上掲とは別の歌を発見し驚いています。