哲学こぼれ話

哲学について、思うことをつらつらと…

「安藤先生と学生紛争直後の大学」哲学こぼれ話㉟

小説のように書くとは、私の場合はただ事実と異なていますという意味です。即 時と所もあいまいで公人以外は名前も違っているかもしれません。

私には、先生は雲上の月のような存在でした。真理を求める先生の存在論の授業は熱がありました。『ハイデッガー存在論』『プロチノス』『アビセンナ』『アヴェロエス』『アリストテレス存在論』『ニコマコス倫理学』などが大学院の第Ⅱ期生の四名の授業でした。後日談ですが、私は哲学概論は受講しませんでした。『存在の解明』行路社刊の書籍になって始めて読みました。山田先生が事故で京都日赤に入院と重なる出版でした。この前書『存在の忘却』は山田先生が校閲し序文も寄せられたものです。

 

ちなみに安藤先生との初対面は、関西哲学会があって私はその折のタイムキーパーだった時です。髙山先生から安藤先生の存在をそっと知らされたに違いありません。

安藤先生は一番前の席に座って、若い発表者にも熱心に耳を傾け真剣に質問されていました。威儀を正された姿は九鬼周造先生の言う「粋な」紳士でした。

 先生に正式にお会いし挨拶したのは面接試験の時でした。ほかにはヒュ―ム・カント研究の土岐邦夫先生や倫理学の小西国夫先生、フランス哲学の先生、そして近藤洋逸先生がおられたと思います。

私は髙山先生の言から、安藤先生を完成した哲学者と信じ、また Red パージ(イデオロギーを排除) をしなければ学問研究はできないと言われた哲学科の主任教授のもとから、大学紛争後しばらくたち何事もなかったかのような並木も美しい津島のキャンパスに来たわけです。

安藤先生について哲学を学びたいと言いながら入学を許された直後には、土岐先生に鞍替えしたいと申し出たことがありました。私は服部先生のイギリス経験論のロックの『人間悟性論』とのつながりで、ヒュームならできそうだが、ギリシャ語のアリストテレスは無理だと思って申し出でました。その時の安藤先生の返事は、「アリストテレスという大哲学者をやりたいと思ってせっかく来たのだから〔私がついているから大丈夫〕イギリス経験論の小人物より、アリストテレスを研究することを勧めます。やりなさい。」という一言でした。比較の問題ですが安藤先生の研究結果の意識ではロックは小人物になるのでした。(先生によれば近現代の最大の哲学者はジルソンだそうです。)

そのあと、先生はアリストテレ全集やスンマの他にも、倫理関係の研究書を何冊か注文輸入され、その都度私は父に連絡し購入しました。父は一言「金森先生は良かった」と言っていました。私もさすがに全く読めないフランス語のものには父に申し訳なく思いました。ここに真理があるという感動と到底読めない書物を抱えたという思いが交錯しました。

何年も後になりますが、その時買ったスンマが名古屋での山田ゼミに参加させてもらえるようになって役立ったわけです。このことも安藤先生には予期できていたことだったのでしょうか。

 

安藤先生はある時、自分は政治的問題にも強い関心があると言われたことがありました。

学生紛争に関する伝聞です。フランス語の田辺保先生の祝賀会に出たことがあります。その時の某先生の祝辞の中で、当時の田辺先生は、対峙するゲバ棒の学生の間に入って「やめなさい」と制止したそうです。

安藤先生の学生たちに対するそれは『当世畸人伝』新潮社の小説にはあります。しかしそれが事実かどうか、白崎氏の創作か確認できるのは、長女の真奈さん以外にはいないと思います。