私は西田幾多郎に習ったという先生にも会っていたことがあります。
今頃になって「立派な教育者とは」と思い出す現清和学園の南久一郎先生です。
目の澄み切った先生でした。南校長は生徒の「魂の平安」が教育の要諦だと考えておられました。
生徒も悪さや規則違反などをして叱られ最後に校長先生のところに回されると「ホッとする」と聞いたことがあります。私には「生徒指導は気長にやってください」と、優しく諭してくださったことがあります。私が大学院の試験問題などを話題にしても南先生は即座に答えて、「西田先生の哲学概論で習ったよ」ということでした。髙山先生の演習の
『ディルタイ』で使った文庫の訳者が京都帝国大学の哲学科時代の友達だとも聞き驚きました。
この岩波書店の哲学概論はおすすめです。当時の京都帝大には波多野精一先生もおられ、その『西洋哲学史要』は杉村暢一先生も勧められた本です。
この波多野先生については、「訳の精確さ厳密さはその右に出る者はいない」と安藤先生からお聞きしました。ちなみに、安藤先生からは、当時の先生方が、教壇をゆっくり左右に歩きながら講義をし最後にピッタリ真ん中に終わりのチャイムに合わせて立っていた。
そんな真似は私にはできないと言われていました。
続く