天才文人の話に戻しましょう。
『RUBAIYAT』(ルバイヤート)もその刮目すべき「あとがき」があります。
それによればこれは、フィッツジェラルドのほか各国語に訳され
「わが国では蒲原有明の六首をはじめとして、
森亮の七十五首などであるが、最も広く流布したのは、
小川亮作の岩波文庫本で、これは真偽とりまぜ百四十三首全部を
ペルシャ語から忠実に訳した。
・・・・医学博士で・・・・
金沢大学在職中の同僚久留勝氏の七十八首は英独仏訳を対照して、
七五調の第一、第二、第四句に押韻した苦心の訳であり、
・・・・小川訳も一見散文風でありながら、
脚韻を踏んでいることは久留訳と同様で、共に苦心の跡がしのばれる。
ただ短歌に訳した例は寡聞にしてこれを知らない。」
とあり、
この絶好の詩を短歌に訳そうと思いつかなかったのは、
一体どういうわけであろうか。
不思議といえば不思議、まことに残念なことである」
と歴史を述べてそのあと大伴旅人の酒の歌と自身
のルバイヤート訳を比較します。