恩師のノートを続けます。
この哲学者(安藤孝行)は白雲山人と号する詩人でもありました。
師との出会いは、ちょうど師がその最初の歌集を明治書院から刊行した頃でした。
唐詩の翻訳歌集でした。
これからも紹介しようと思う哲学の方では
質問さえもできず近づけなかったのですが
歌のほうは感想を言うことが出来ました。
ご自分の歌の掲載は内容を置いて
賛否があったと聞かされました。漢詩の訳(短歌による)だけでよいという人、
本の帯に名前を挙げたの方々の声だったのかと思います。
推薦:高木市之助・久松潜一・橋本楯・加藤将之・林秀一・竹内照夫・川口久雄・白川静・森岡常夫・国崎望久太郎・沢本欣一・福田襄之介
帯には他に書名の
唐詩唱和の上下に
日中文化交流史上空前の偉業 驚異の新古典和歌集現わる
があり,
背には
唐詩600首を万葉 新古今調の和歌に訳出
があります。
哲学ノートに戻ります。
哲学史上このような基礎概念の体系的整理を最も簡明に行ったのは
Arisutotelesであり特に彼の論理学や形而上学であったが
これら諸概念を総括する最高の概念はParmenidesによって強調された
存在の概念であった。但しParmenidesでは存在は未分化であり、
オンとエイナイは文法的には区別されて居ても、
それに相当する哲学的な区別がたてられていたか否かは不明である。
そこでParmenidesの哲学を存在者オンの絶対肯定として
主語的存在者を重視すればBurnetの様に
そこから唯物論を引き出すことも出来る、
他方Taranの指摘するようにエイナイを
肯定判断の肯定的なcopulaとしてとらえるなら
実在についての肯定的命題のみを有意味とする
実証主義的認識論を引き出すことも可能であるが、
おそらくParmenidesはその一方ではなく、
双方、すなわち実在者についての積極的肯定判断のみに
哲学的認識としての価値をみとめたのであろう。
われわれは唯実在するところのオンについてのみ、
それがあること、何々であること認識することが出来る。
これに反して実在しないものについては、
それが実在すると云うことが出来ないのみならず、
それがなんであるかと云うことを述べることもできない。
唯それについて言いうることは
それが存在しないということだけである。
続く
ああ
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