ちなみに私は2度30歳代と50歳代に南山大学の山田晶先生の「トマスアクィナスのゼミ」に二度参加させていただきました。二度目の時は改めて世界中のコンピューターのどこを探しても聴けない話をいま聴いているのだと感激した記憶があります。それは初めて10代で聞いた髙山先生の哲学の授業の記憶につながるものでした。
髙山先生の言葉にあった「完成した哲学者」安藤先生に続いて言われた「未知数の若い学者は旧帝大を中心に何人かは居る」をこのときに思いだしそれが山田先生だと確信し
ました。
髙山先生の思い出を書きます。
髙山先生は「存在を可能な限り論理的体系的にとらえること」この哲学の定義の後、旧約聖書の「ありてあるもの(自らの存在原因を自らのうちにもち他者に負わない)」か
ら始まりご自身の言葉でノートに一瞥もなく通年話されました。先生の研究室には「道元全集」がありました。先生は「教室の表示には『哲学』とだけ書いてあっても西洋哲学のことである。しかし日本にもこの道元のような立派な哲学者がいる」と話されました。授業内容はよく記憶していませんが授業後教室を出ても感動の余韻で風景が違って見えたことを覚えています。先生のうちに会った道元という人を見ていたのかもしれません。
髙山先生の小津の官舎に招かれすき焼きをごちそうになったことがあります。いつも美しくピカピカだった先生の茶色の革靴はこの奥様が磨いておられたのかと思ったことで
す。若き日先生は岩手県からはるばる瀬戸内の広島に学ばれたそうです。そのあと沖縄の学校に就職されました。そこでの最高学府の教員は権威があり威張っている同僚もあり、毎日でもすき焼きを食べられる生活だったそうです。
これを髙山先生は自分を堕落させるものと思いなして、無給の大学に逃げ帰るようにして戻ったとお聞きしました。「向上心ではなく向学心」が大切だと私を諭されました。また意外だったのは、政治的には無関心の私に、「もし私が若ければ放っておけなかっただろう」と言われたことでした。
先生はペースメーカーを入れておられました。
続く