哲学こぼれ話

哲学について、思うことをつらつらと…

「詩は・・・・読者の心をゆさぶり、詩人と同感させるという・・・・詩は音楽に類似し、言葉による音楽と言っても過言ではない」哲学こぼれ話⑧

 

哲学のブログで始めたものが、文芸の話が長くなりました。

 

もうしばらく続けなければなりません。

 

というのも哲学者Takatura Ando自身が

 

毎回挙げているノートの存在論の自説の完成(英語に翻訳するまで)を強く意識しながらも「自分程度の学者は世界には数人いる。しかしこの唱和〔会津八一氏が印象といった〕という業の方は独自のものかもしれない」

 

と言っていたからです。

 

先生は我が国の連歌俳諧連句)のもつ「世界でも稀有な社会的な文藝形式」で世界中の人と交歓できることを示したかったと思います。

 

「詩は・・・・読者の心をゆさぶり、詩人と同感させるという・・・・詩は音楽に類似し、言葉による音楽と言っても過言ではない」とあり、読み下し文で失われた漢詩の平仄(ひょうそく)とか脚韻、また欧米詩の韻律を」やまとことばで再現しようとしたのでしょう。


安藤孝行先生のペルシャの詩人オマル・ハイヤームの『るばいやあと』の短歌訳に至っては、その思いが一層強くなります。