哲学こぼれ話

哲学について、思うことをつらつらと…

「波多野先生については、「訳の精確さ厳密さはその右に出る者はいない」」哲学こぼれ話㉑

 

私は西田幾多郎に習ったという先生にも会っていたことがあります。

 

今頃になって「立派な教育者とは」と思い出す現清和学園の南久一郎先生です。

 

目の澄み切った先生でした。南校長は生徒の「魂の平安」が教育の要諦だと考えておられました。


生徒も悪さや規則違反などをして叱られ最後に校長先生のところに回されると「ホッとする」と聞いたことがあります。私には「生徒指導は気長にやってください」と、優しく諭してくださったことがあります。私が大学院の試験問題などを話題にしても南先生は即座に答えて、「西田先生の哲学概論で習ったよ」ということでした。髙山先生の演習の
ディルタイ』で使った文庫の訳者が京都帝国大学の哲学科時代の友達だとも聞き驚きました。


この岩波書店の哲学概論はおすすめです。当時の京都帝大には波多野精一先生もおられ、その『西洋哲学史要』は杉村暢一先生も勧められた本です。

 

この波多野先生については、「訳の精確さ厳密さはその右に出る者はいない」と安藤先生からお聞きしました。ちなみに、安藤先生からは、当時の先生方が、教壇をゆっくり左右に歩きながら講義をし最後にピッタリ真ん中に終わりのチャイムに合わせて立っていた。

 

そんな真似は私にはできないと言われていました。

 

続く

 

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「京大の田辺元博士門下の『たいへんな俊才』」哲学こぼれ話⑳

 

話が前後しますが、この直後に就職し先生から離れたため細々と口語訳だけ続けていた私に安藤先生は山田先生に会う機会を作ってくださいました。それが南山大学の山田ゼミにつながります。

 

 


話は変わりますが、山田先生はイタリアに留学しイタリア語もマスターされたと知りました。安藤先生は後年オックスフォードのロス教授・アクリル教授のもとに留学しまし
た。服部先生も留学の時、同じ田辺元先生の学生ということもあり、安藤先生にオックスフォードでの経験を伺がったと、ずっとのちに聞いたことがあります。

 

 


安藤先生が翌昭和16年に就職されたのが四校、恩師西田幾多郎先生の前任校です。この時の学生である西義之氏の回想を挙げます。「旧制四校の二年生のとき私たちは初めて安藤先生を教壇に迎えた。担当は『論理学』でなかったかと思う。先生の噂はだれからかすでに伝えられていた。京大の田辺元博士門下の『たいへんな俊才』である等々。」

 

続く

 

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「戦時体制下一般書店 にはほとんど並ばなかった幻の本」哲学こぼれ話⑲

 

 

この時期、安藤先生には河出書房新社から『アリストテレスの倫理學』唱和15年弘文堂刊 50銭の教養文庫の復刻再刊の依頼がありました。この本は戦時体制下一般書店
にはほとんど並ばなかった幻の本と聞きました。

 

「弘文堂の本をよく覚えていてくれた」と先生はその求めに応じるべく書き改めに意欲をもち少し取り掛かられましたが、ご自分の研究方向は既に進展しているのとやはり時間をさけないことで私に任されました。私に先生は新しい研究書の英・独・仏数冊を加味して古くなった文章を口語文に改めるよう望まれました。

 


 


新書版205ぺーぎのそれは安藤先生28歳の学生時代に発刊されたもので海外の主要な文献に可能な限り当たっていて私にはその追認もできませんでした。ただ安藤先生は、イタリアにも文献があるはずだがそれは当たってないということでした。


旧制高校の語学教育や京大哲学科の西田幾多郎田辺元当時のレベルの高さを知りました。

 

続く

 

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「向上心ではなく向学心が大切」哲学こぼれ話⑱

ちなみに私は2度30歳代と50歳代に南山大学山田晶先生の「トマスアクィナスのゼミ」に二度参加させていただきました。二度目の時は改めて世界中のコンピューターのどこを探しても聴けない話をいま聴いているのだと感激した記憶があります。それは初めて10代で聞いた髙山先生の哲学の授業の記憶につながるものでした。

 

髙山先生の言葉にあった「完成した哲学者」安藤先生に続いて言われた「未知数の若い学者は旧帝大を中心に何人かは居る」をこのときに思いだしそれが山田先生だと確信し

ました。

 

髙山先生の思い出を書きます。

存在論


髙山先生は「存在を可能な限り論理的体系的にとらえること」この哲学の定義の後、旧約聖書の「ありてあるもの(自らの存在原因を自らのうちにもち他者に負わない)」か

ら始まりご自身の言葉でノートに一瞥もなく通年話されました。先生の研究室には「道元全集」がありました。先生は「教室の表示には『哲学』とだけ書いてあっても西洋哲学のことである。しかし日本にもこの道元のような立派な哲学者がいる」と話されました。授業内容はよく記憶していませんが授業後教室を出ても感動の余韻で風景が違って見えたことを覚えています。先生のうちに会った道元という人を見ていたのかもしれません。

 

髙山先生の小津の官舎に招かれすき焼きをごちそうになったことがあります。いつも美しくピカピカだった先生の茶色の革靴はこの奥様が磨いておられたのかと思ったことで

す。若き日先生は岩手県からはるばる瀬戸内の広島に学ばれたそうです。そのあと沖縄の学校に就職されました。そこでの最高学府の教員は権威があり威張っている同僚もあり、毎日でもすき焼きを食べられる生活だったそうです。

これを髙山先生は自分を堕落させるものと思いなして、無給の大学に逃げ帰るようにして戻ったとお聞きしました。「向上心ではなく向学心」が大切だと私を諭されました。また意外だったのは、政治的には無関心の私に、「もし私が若ければ放っておけなかっただろう」と言われたことでした。

 

先生はペースメーカーを入れておられました。

 

続く

 

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「ハイデッガーの哲学は、熱烈に信奉されるか、冷淡に無視されるかのいずれかであって、その中間がない。しかし哲学とは批判的精神に徹することである」哲学こぼれ話⑰

 

「よく言われる通り、ハイデッガーの哲学は、熱烈に信奉されるか、冷淡に無視されるかのいずれかであって、その中間がない。しかし哲学とは批判的精神に徹することであるなら、われわれの採るべきはこの中間の道ではなかろうか。著者にとって、ハイデッガー終始硬きクルミであった。

 それは著者の余りにも悟性的な思考を頑強に拒みつづけた。ちょうどヘーゲル弁証法がそうであったように。ヘーゲルハイデッガー、日本の哲学者を最も魅惑したこの二人のドイツ哲学者は、率直に言って著者の精神とはあまりに異質的であった。それにもかかわらず、この二人を全く避けて通ることは私の良心と自尊心が許さなかった。たとえ最終的には理解したり同調することが出来ないにしても、この対決を避けては自分の哲学を確立することが出来ないと感じられた。」

 

「・・・・世のハイデッガー宗の人々から見たらあまりにも貧しい敗北の記録かもしれない。しかし著者は終始自他に対する誠意を失わなかったことを信じたい。

・・・・しかし自己の悟性を瞞着して権威に追随することは著者の最もいさぎよしとしないところである。幸いにして著者の自己愛は真理愛より強くはない。著者は決して私見固執するものではなく、常に識者からの教示啓蒙を望んでいる。」

 

渡辺二郎氏に対談を望んだけれど実現されなかったとお聞きしました。

 


 

続く

 

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「私はどんなに浅くとも澄んだ水を好む。深浅は人の運命である。しかし浅いものが深きをまねるほど滑稽で悲惨なことはない。」哲学こぼれ話⑯

 

ちなみに昨年 「中世哲学講義」(全5巻)山田晶が完結したとの喜びの年賀状をいただきました。

 

安藤孝行先生の「中世哲学史」ノートも「存在論」ノートに続いて紹介したくなりました。

 


 

 

安藤先生の哲学書は国島一則氏が公論社から先生が満足の立派な装丁の『アリストテレス研究』を発刊した後、安上がりの「わら半紙のような、しかも一部活字も異なる(立

命館大学の出版誌の抜き刷り)を使った」と嘆いた『ハイデッガー存在論』があります。

 

その哲学書ではニーチェ張りの言葉がそのカバーに見られます

 

「濁った水は深く見えるという。・・・・私はどんなに浅くとも澄んだ水を好む。深浅は人の運命である。しかし浅いものが深きをまねるほど滑稽で悲惨なことはない。」

 

は私に向けられた言葉であるとともに、ありのままの浅い自分を受け入れてもくださるという安らぎの言葉になりました。

 

さらに序から安藤先生自身の言葉を引きます。少し長くなりますが、先生の若い学徒への思い、その哲学的立場、そして先生が京都学派に属さなかったわけを推し量ること

が出来るものです。

 

続く

 

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「山田 晶さんは中学生でもわかる論理で哲学書を、小学生にもでもわかる言葉で詩を」哲学こぼれ話⑮

 

文芸書の自費出版が続くこの間、

先生は恩師である山内得立先生から『ロゴスとレンマ』の英訳も頼まれ断られて

いました。

 


 

時間がないというのが一番の理由でしたが、自分の存在論とは違う難しさがあるともお聞きしました。『ハイデッガー存在論』はドイツ語で書いた方がいいだろうかと言われていた先生にして慣れた同じ英訳でも語学(言語)上の壁があったようです。

 

一方で山田晶先生については安藤先生の言葉「中学生でもわかる論理で哲学書を、小学生にもでもわかる言葉で詩を」を書かれている。

 

今にして思えば山田先生もやはり将来翻訳して世界に発信することを想定してのことだったのでしょう。この三人お三方の哲学者のうちAIの発達・進歩で一番早く翻訳できるのは山田先生、次に安藤先生、そして山内先生という順になるのでしょうか。

 

続く

 

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